今日の文章 2024.6

『今年も きたかよ さくらんぼ』

80代の女性Hさん。
神経心理検査の書字課題より。

山形出身のHさんとは同郷ということで話が盛り上がり。
その後、標語のような作文をしてくださいました。
毎年6月になると田舎のきょうだいから嬉しい贈り物が届くそうです。

うちにもきたかよ、さくらんぼ。うちは母から。

今日の文章 2024.5

『私の身体について こんなに想ってくださるなんて 感謝です』

神経心理検査の書字課題でこのように綴った80代の女性Tさんは、続けて静かに次のように話されました。

「家ではごはん作って出して…、毎日いろいろみんなのお世話して。自分の身体のことを『どう?』なんて言ってくれる人はいません。でもそういうことを昔と同じようにできてるってことかなって思って…。私は、やってくれて当たり前と思われてるほうがいいのね。できてる、ってことだから」。

そして「おかしなものね、歳を取ると…」と言ってふふふと笑いました。

私がTさんの体調を心配して何気なくかけた言葉に、Tさんがふと感じたこと、気づいたことを述べ、私はそれを聴く…。こういう時間を大事にしたいです。

行きたかったカフェでお茶する至福のとき。

今月の文章 2024.4

『記念になるように答えたいです。』

90代の女性Tさん。
神経心理検査の書字課題より。

重い難聴のあるTさんは、PC画面に表示された教示文を読みながら、真剣に検査を受けられました。
「耳が悪いから、人と会話しても互いにつながらないのが一番の悩み」とおっしゃっていましたが、「今度ひ孫が生まれるの。ものすごく希望」と明るく前向き。
一生懸命答えてくださったので、ここにも記念します。

初夏のような陽射しを浴びて。

今日の文章 2024.3

「まっていた 春が来た 来た。」

80代の女性Sさん。
神経心理検査の書字課題より。

その後から私は、春らしい光景に出会う度に、
わくわくした気持ちで「春が来た、来た」とつぶやいています。
もちろん心の中で、です。

信号待ちでふと横を見ると。ここにも春が、来た来た。

今日の文章 2024.2

「今日は色々な検査をして頂いて
嬉しいやら 結果が心配になるやら
大切な1日です。」

80代の女性Hさん。
神経心理検査の書字課題より。
いろいろな気持ちが入り混じっているようですが、
大切な1日になったのだとしたらよかった。

1月に帰省したときの山形市内の風景。今年は雪が少ないとのこと。

一文の機微

前回、もの忘れの程度など様々な認知機能を調べる神経心理検査の課題の1つに文章を書いてもらう書字課題というのがあるとご紹介しましたが、たった一文、書いていただくだけで、その中にも非常にいろいろな個性が見え隠れします。

「今日は病院に来ました」
「今日はいい天気です」
などと当たり障りのないものも多いのですが、はっとさせられるような文章に出会うこともあります。
「この頃、私は何かおかしい」
「私はだんだんだめになりそうです」
などと、もの忘れに伴う不安な胸の内を文章にされる方も少なくありません。
「家族に迷惑をかけています」
などと周囲への申し訳なさをしたためる方もいらっしゃいます。
そんなときはとても切ない気持ちになります。

その一方、思わず顔がほころんでしまうような、ユーモアやセンス溢れる文章と出会うときもあります。

先日検査にいらっしゃったNさんは、3年ほど前に中等度アルツハイマー型認知症と診断された84歳の女性で、今回の長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMMSEという30点満点の簡易検査でそれぞれ9点、13点でした。
中等度くらいの認知症になると、検査においてできない課題が多くなるため、嫌になってしまう方も多いのですが、Nさんは最後まで心から楽しそうに、やる課題、やる課題、興味津々といった感じで目をきらきらさせて取り組んでくださいました。

そして件の書字課題ですが、Nさんは少し考えてゆっくりと、用紙に縦に「今日のお知らせ」と書きました。
これだけでは文章ではないので得点になりません。
Nさんはまた少し考えて「娘の」を加えて「今日の娘のお知らせ」に修正。
それでも主語・述語がないと文章にならないため、残念…と思っていると、Nさんは改行して「今日のお昼ごはんは」、そしてまた改行して「ゴーセーですよ!」と書き加えました。
「今日の娘のお知らせ
今日のお昼ごはんは ゴーセーですよ!」
これならOK! どころか、なんてセンス! と私は感動しきり。
びっくりマークもとても可愛らしく書けています。
文章が書ければ1点、書けなければ0点ですが、10点くらいあげたいところでした(もちろんしていませんが)。

Nさんは同居する娘さんの書くメモを頼りに生活されています。そんな娘さんからの「お知らせ」はお昼ごはんに関することでした。
「いつもは残り物とかで簡単に済ますんですけどね。こういう(豪勢な)ときもあるんです」と笑ってNさん。

Nさんは3分前のことも忘れてしまいますが、こういう文章が書けます。
そこも記憶ですが、こういう記憶は頭の中のどこにどうやって存在しているのか不思議です。

Nさんはそんな文章を書いたことも忘れて、私の手引き歩行で娘さんの待つ待合室までゆっくりと戻られました。
そのNさんが3年前に書いた文章は
「このたび面白い経験をさせて頂きました。ありがとうございます」。
そして今回も何度も「ありがとうございます」と述べられていました。
こちらのほうこそ「ありがとうございます」。

可愛らしい花が咲きました!

べにさしゆび

もの忘れ外来での神経心理検査の中に、手の指の名前を言っていただくという呼称課題があります。
先日、80代半ばの女性がこの課題で、「親指、人差し指、中指…」と順調に回答できていましたが、薬指のところではたと止まってしまいました。
1つ飛ばして、「これは小指」と答えた後で再び薬指に戻って、「ええと…」と考えています。
なかなか出てこないようだったので、切り上げようかと思った矢先、
「紅差し指(べにさしゆび)」
おもむろにそう答えられたのです。
「そうそう、紅差し指」
その女性は言葉が出てきてほっとされているようでした。

私はというと、その言葉の美しさにはっとすると同時に、昔の女性が薬指でそっと紅を差している姿が目の前に浮かび、うっとりしてしまいました。

忘れ去られそうなこうした日本語を、しっかりと受け継いでいきたいですね。

紅花は故郷山形の花6月に花屋で見かけ部屋に飾りました。

ゆりかごの赤ちゃん

2年ほど前、病院のもの忘れ外来で神経心理検査を取らせていただいたとき、ある女性のしてくださった話がずっと心に残っています。
当時90歳で、エレベーターのない団地の4階でお一人暮らしをされており、白髪のショートカットで銀縁メガネをかけた、上品な印象の方でした。度の強いメガネのせいか、目が少し大きく見えました。
明らかな近時記憶障害と、軽い見当識障害がありましたが、それ以外はしっかりとされていました。

「何か心配なこと、気になることはありませんか?」の質問にはこう答えられました。
「特にないですね。長男と次男の嫁たちが毎日電話かメールをくれる。心配なんでしょうねえ、やっぱり。忙しいから、メールが多いかな。『今、朝ごはんを食べました』とか、一言ですよ、メールっていっても。でもそれでも安心するらしくて」。

そしてどうしてその話になったのか覚えていませんが、こんな話を始めたのです。

「近所のご夫婦が、40代で初めて子どもができて。ご主人が46歳で、奥さんが41歳だったかな。16年目でやっと授かって。そのお子さんを、うちで預かることになったの。『もしも何かあったとしても、決して責任を問うたりしませんから、みてもらえませんか』ってお願いされて。」

唐突に始まった話に初め私は、今のできごとかと思いましたが、思い出話のようです。

「そのとき主人は定年退職したばかりで、何もしないで家にいたから、『お前は一切何もしなくていいからそこにいろ』って私に言って、家の中のことを全部やってくれて。私は、流しにお皿がたまっていても、何があっても、赤ちゃんのそばを離れないで、ずっと見ていたの。毎朝、その子のお父さんが着替えとミルクをゆりかごの中に一緒に入れて預けに来るから、そのゆりかごを、上に(落ちてくるような物は)何もない部屋の隅において、私は一日中ずっと見ていたの。1年以上かな。当時は生まれたばかりの赤ちゃんを預けられるようなところはまだなくて、そのうち、新しい保育所ができたから、それまではうちでずっと。
その子がね、もう30いくつで、家から歩いて10分くらいのところに住んでいるんだけど、私を本当のおばあちゃんのように思っているって言ってくれて…」。

幸せそうに、愛おしそうに、その女性は微笑みました。

いい話だなあと思ってずっと聞いていました。

今年初、セミの抜け殻発見。壁のデコボコにつかまって羽化したようです。