四十九日の桜

前回の投稿の続きになりますが、先日、父の四十九日の法要で山形に帰省しました。
予想通り、山形市内は桜が満開でした!

法要の後は、父も好きだった麩の懐石料理を食べに行き、その帰りには以前にも両親と妹と4人で通って花見をした川沿いの桜並木通りをドライブ。
風が強かったので、散るにはまだ早いけれど、桜吹雪も満喫しました。勝手に父が吹かせてくれた風かと思ったりして(笑)

父には晩年、困らせられることもたくさんありましたが、素敵な贈り物もたくさんくれました。そして腹の立つこともたくさんあったのに、最後はやっぱり愛おしい。家族って不思議ですね。

さよならはやっぱり寂しいけれど、最後はお互い笑顔で過ごせ、感謝も伝えられたし、美しい月山も桜も見ることができて、幸せだなと感じます。

父の魂が安らかでありますように。

この後はずっと車で渋滞だったので、奇跡のような車内からの1枚。

麩懐石は山形のおすすめの1つです。

父と過ごした最後の3日間

先月、父が亡くなりました。
今回は個人的な話になりますが、父との最後の日々を少し書いてみようと思います。

父が危篤という連絡がきたのは、緊急入院の知らせを受けて2日目の午後でした。
ちょうどそのとき、私は地域の高齢者に向けたちょっとした勉強会のようなものを行っている最中でした。こんな時間に母から電話が入ったことにまず胸騒ぎがしましたが、続いてスマホにメールの着信があり、「お父さんが危篤状態になりました」という文面を目にしたときは本当にドキリとしました。
動揺を隠しつつ、何とか講演を終えてから、スタッフに事情を話し、職場を早退しました。
父はこれまでも何度か入退院することがあったので、正直、こんなに早くこうした状態になるとは思っていませんでしたが、それでも、今回の入院はこれまでとは違うなという予感もありました。だから講演の間もスマホを手の届く位置に置いていたのです。本当は連絡がなければよいと祈りつつ・・・

帰宅後、急いで仕度し、実家の山形へと向かいました。
その日の山形新幹線はなぜか全て満席で、大宮からデッキに立ったままでの帰郷となりました。翌日からの仕事の調整でメールをいくつかした後は、やることもなく、長い長い時間が過ぎました。

父の容態は少し落ち着いたという連絡はもらっていたものの、不安でいっぱいでしたが、深夜の病室で父は、拍子抜けするくらい元気に(と言ったら語弊がありますが、想像以上に明るく)私を迎えてくれました。

翌日も、その翌日も、高流量の酸素投与と医療用麻薬の使用で、一時的とはいえ落ち着いた状態が比較的長く保たれ、普通に会話もでき、母と、妹と、久々に家族4人で、他愛のない話をしながら過ごすことができました。
苦しそうにすることも度々ありましたが、医療の力を借りて父は、いつもの穏やかな表情で、時には冗談を言って私たちを笑わせてくれたりもしました。

それでも少しずつ、父の生命力が小さくなっていくが分かりました。
甘いコーヒー牛乳を、「うまいなあ、ああうまい!」と言ってごくごくと飲んでいた翌日にはもうそれも欲しがらず、口にするのは水だけになり、その翌日には小さな氷の塊だけとなりました。それでもそれをスプーンにのせて口に運ぶと、美味しいと頷いてくれました。その後はほとんど、浅く眠っているような状態となりました。

連日、快晴が続き、8階の病室からは、雪で真っ白になった月山がそれはそれはきれいに見えました。父もそれを喜び目を細めて眺めていました。

私が病室に駆けつけてから4日目の朝、父は静かに旅立ちました。

父と過ごした最後の3日間は、私にとってかけがえのない、生涯忘れることのない時間となりました。
これは父が最期までがんばってくれたからこそ与えられた時間で、父からのプレゼントだったと思っています。危篤になってすぐに逝ってしまっていたら、私は1年以上も帰省しなかったことや、母に介護を任せきりだったことをきっと心から悔いたでしょう。
そんな、さり気ない優しさのある父でした。

父と病室で過ごした間に、私は生まれて初めて父の爪を切り、父の小指の大きいことも初めて知りました。父の手や爪の形も初めてまじまじと見ました。父の寝顔だって、あんなに見つめたことはなかったでしょう。
父の手を握ったのも、小学生の頃、父に手を引かれて見に行った地元のお祭りの日以来だったのではないかと思います。

少しずつ死に向かう父と過ごし、そして最期の瞬間をしっかりと見届け、今は骨だけとなった父に話しかけるとき、私は、死とは人生の最後ではなく、人生の一部なのだと、改めて教えてもらっている気がします。

父の死後、通夜、葬儀、そして様々な手続きと、忙しい日が続き、東京での仕事に戻っても、春が来たことにしばらく気づきませんでした。葬儀を行った場所が雪深い地だったせいもあるかもしれません。

東京では19日、桜の開花発表がありましたね。平年や去年より5日早い発表だったようです。
桜の咲くこの季節は、日本が最も美しく彩られる時期と言っても過言ではないでしょう。
父の四十九日の法要がある頃は、ちょうど山形市内が満開に近づく頃。これも父からの粋なプレゼントかしら?

今度はゆっくりと、新幹線からの車窓を楽しみながら帰りたいと思います。

月山は山形の名峰。病室からもちょうどこんな月山が見えました。

今日の文章 2025.12

『うちの家族は 皆んな にぎやかです。』

80代前半の女性Mさん。
神経心理検査の書字課題の回答より。

Mさんは中等度の認知症。日常においては困ることも多いと思われます。
でも家族が明るいと、困りごとも笑いに変えられたりできる。これは大きな生きる力です。
そんなご家族に出会うと、こちらもちょっとほっとします。
もちろんいろんな葛藤や、ぶつかることもあるでしょうが、笑顔や笑いは救いになります。

Mさんは今はご主人と娘さんとの3人暮らし。
離れて住むもう一人の娘さん家族もよく訪ねて来るのかな?
かつては大家族だったのかな?

Mさんの家族の歴史まであれこれ楽しい想像をかきたててくれる、素敵な文章です。

クリスマスは忙しいから、フライングで食べたケーキ ♪

今日の文章 2025.9

『この年になったら 簡単には書けません』

80代後半の男性Hさん。
神経心理検査の書字課題<ここに文章を1つ書いてください>の回答より。

実はHさん、1年前の同じ課題では、『病院通い』と書いて得点にはなりませんでした。文章にはなっていないからです。
言語に関する課題はちょっと苦手な様子のHさん、今回もしばし書けずにいたのですが・・・
二重丸をあげたくなるような文を書いてくださいました。

本当は苦し紛れの作かもしれませんが・・・
何とも深い・・・

散歩していたら、桜を発見!

Mさんの木と、真夏のワンピース

8月になると思い出す方がいます。

2年近くに渡りカウンセリングを受けられていたMさん(70代、女性)。
後半は体調不良などもあって少し間が空くこともありましたが、ほぼ月1で通って来て下さっていました。

スタイルがよく、おしゃれで粋で、きれいな方でした。
認知症の進行をご自身でも自覚し、「これから先どうなっていくのかすごく不安」といった思いや、同居する娘さんとの関わりにおける強い葛藤、日常生活における戸惑いなど、ときに大きな目に涙をいっぱい溜めて一生懸命お話されるMさんの姿は、幼い少女のように見えることもありました。
頼りなげに見えることはあっても、Mさんは的確に自分の中で起こっていることや様々な思いを言葉にすることができる方でした。

カウンセリングの後半にはいつもバウムテストという心理検査を導入し、1本の木を描いていただき、ときにその絵を見ながら会話を行うこともありました。
バウムテストで描かれた木は、主にその人が自分自身の姿として無意識のうちに感じているものを示し、その人の自己像を表すことが多いと言われています。

Mさんは、毎回同じ木を描かれました。毎日見ている庭の木だそうです。
同じ木といっても毎回描き方も、木の表情も違い、枝もあっちを向いたりこっちを向いたりし、ときに全方向を向いていたり、幹とともに右にだけ大きく傾いていたり、ダンスをしているように見えたりしたこともありました。

集中して黙々と描いた後で、あるいは描きながら語られるMさんの言葉にはいつも、木への(すなわち自分自身への)エールと愛情が感じられました。
「かなり古い木だけど、雨風でこんなに曲がってしまっても折れることなく、がんばっています」
「もう何十年も一緒なんです。栄養とかあげたりしてないのに、がんばって育ってます」
「庭の木が曲がっちゃったんです、重くて。でも折れることはないです。がんばっています」
「上に伸びているのも、下がっているのもある。でも決して折れない…」。

同じ木を迷わず描き続け、「おかげで庭の木をよく見るようになりました」と述べられたことから、木(すなわち自分自身)との対話が進んでいることも窺われました。
「『いつもこの木を描いているのよ』と言っているの」と、娘さんとの会話にも登場しているようでした。

カウンセリング最後の数回は、お一人で通うことが難しくなり、娘さんに付き添われての来院となりました。
他の疾患や体調不良も重なり、認知機能も身体機能もガクッと低下した時期です。
それでもなおMさんは、今の自分が体験している世界を言葉にでき、ユーモアも忘れていません。
感情的に反応していた頃の自分を振り返り、「人は歳を取れば変わるのは無理だと思っていたけど、変わるんだって、この歳になって初めて分かりました」と神妙に述べたかと思えば、「でももしまた何かあったらまた『お願い、助けて』ってここに来ますね」と茶目っ気たっぷりに言って笑いを誘ったこともありました。

残暑厳しい8月のある日、カウンセリングの前に娘さんからの希望で短い面談を行ったのですが、そこでMさんの施設への入所が決まったとの報告を受けました。
さらに予定していた入所日が早まったと。つまり、その日のカウンセリングが最後になるということでした。

Mさんは施設入所の話を何度しても忘れてしまい、その話をする度にMさんだけでなく娘さんも泣いてしまうとのことでしたので、私は少し迷いましたが施設の話はもちろん、これが最後のカウンセリングだということも告げずにMさんとの最後のセッションを行いました。

2ヶ月ぶりのカウンセリングで、それまでも同じくらい間が空いたときはあったのですが、その日初めて、カウンセラーである私の顔を見たAさんに、はて?(この人は誰だっけ?)といった様子がみられました。

それでも話しているうちに次第に感覚や記憶が戻ってきたようでした。
近況については「何の問題もない」と表情穏やかに述べ、「前の悩みは娘との関係だった」「最初の頃は悔しかったこともあったけど、私も悪かったのかなと思う」「早いわね。あっという間だった」「今は穏やかでいられる。自分自身でいられるのはよかったのかな」などと、これまでのカウンセリングを振り返るような表現や、俯瞰的、内省的な表現もみられました。

とはいえお話される内容の大半は非常に分かりにくくなっていましたが、バウムテストではいつも庭の木を描いていたことをすぐに思い出されました。
そして、そのいつもの木を迷うことなく描き始めました。
かなり抽象的となり、とても木には見えませんでしたが、Mさんは「(この木に)何か刺激されるのよね。何かあるんでしょうね。私に見て欲しいのかもしれないし…」とつぶやきながら、楽しそうに筆を動かされました。
そしてさらに、こんなふうに語ったのです。
「木が切られちゃったんだけどね、また小さなこういうのが出ていて……それを挿し木のようにして育てているの」。

「木が切られてしまった」という表現が気になって後から娘さんに確認すると、庭の木は切られていないとのことでした。
描かれた木が、ステージの変化していく自分自身の象徴だとしたら、「切られちゃったんだけど、また小さなこういうの(芽のようなもの)が出ていて、それを挿し木のようにして育てている」という表現は、Mさんの前向きな意思表示であり、強さでしょう。

入所については、意識上は毎回忘れてしまっても、無意識的にはどこかで理解していて、それについてのMさんの答えが、最終回での穏やかさとこのバウムだったのではないか。そんなふうに思いました。

この日はとても暑い日で、Mさんも娘さんも揃って夏らしいノースリーブのワンピースをお召しになっていました。
ウエストに細いベルトのついた、華やかながらもシックなワンピースに、イヤリングなどのアクセサリーもとても品がよく、本当に素敵でした。

そんな2人が手をつないで帰るのを、見送っていたときです。
当時はまだ院内ではマスクの着用をお願いしていたので、うだるような暑さの外へ出て歩き出した娘さんがまずはマスクを外しました。
そして隣のMさんにもマスクを外すよう促しながら、私がまだ見送っていることにふと気づかれたようで、Mさんに何か囁いた後、2人同時にくるりとこちらを振り返られました。
そして、これも2人同時ににこっと笑って、深々とこちらに向かって頭を下げられたので、私も思わず頭を下げ、手を振ると、2人も振り返してくださいました。

その後また手をつなぎ、駅へと向かって歩いて行かれる2人を再び見送りながら、私はまた新たな感動を覚えていました。
2人のお顔がそっくりだったから!

思えば、Mさんはマスクを外したお顔を何度か目にしていましたが、娘さんに関してはマスク姿でしかお会いしたことがなかったのです。
マスクを外した娘さんのお顔が、あまりにもMさんにそっくりで、親子なのだから当たり前といえば当たり前なのでしょうが、なぜかちょっと涙が出そうなほど胸にじんときました。

陽炎の中を歩く2人の姿が映画のワンシーンのように美しく、今も忘れられません。

石畳の隙間の小さな緑がいきいきとしていて、涼を感じました。

今日の文章 2025.6

『久しぶりの勉強! うれしい夏のはじめだわ。』

70代後半の女性Bさん。
神経心理検査の書字課題より。

前回のブログでも書いた通り、もの忘れ外来での神経心理検査(認知機能検査)を、嫌がるどころか、前向きに取り組んでくださる方のなんと多いこと!
検査課題に取り組むことはともすれば苦痛にもなることですが、捉え方次第ですね。「久しぶりの勉強!」と、この方の弾けるような喜びが感じられます。

焼きヤングコーンは夏の初めのお楽しみ。皮をはいだらヒゲごといただきます。

今日の文章 2025.4

『このたび、面白い経験をさせて頂きました。ありがとうございます。』

80代の女性Aさん。
神経心理検査の書字課題より。

もの忘れ外来での神経心理検査(認知機能検査)は侵襲性が高いと言われます。実際、記憶力の低下などから不安を抱えている方に、そうした能力の衰えに直面するような課題をやっていただくわけですから、苦痛を感じる方も少なくありません。
検査は、記憶に限らず、様々な認知機能を評価するため、多くの課題を組み合わせて行い、30分から1時間と、長い時間も要します。
検査をするこちら側も、相手を試すようで、申し訳ないような気持ちになりますし、実際に、検査に抵抗を示したり、拒否される方も一定数いらっしゃいます。怒ってしまって、中断せざるを得ないこともあります。

ただ、私が十数年たくさんの方に検査を実施してきて実感し、驚くのは、想像以上に検査を楽しまれる方が多いということ。
もちろん、抵抗感や嫌悪感を抱えながらも表面上にこにこと取り組んでくださる方もいらっしゃいますが(そういう方はだいたい分かります)、本当に面白がって、関心を持って、楽しみながら課題に取り組まれる方のなんて多いこと!
当然、こちらも相手が嫌な気持ちにならないよう最大限の配慮はしますが、それでも、です。
「こんなこと、初めてやったけど面白かった」「楽しかった」
そんな言葉に、心からほっとしますし、私もどんなことにも興味を持って楽しめる人でありたいとな、いつも思わされます。

春の歩道の植え込みは、いつにも増してカラフル。

Hさんの脳腫瘍

勤務するクリニックの患者さんで、週1回行っている回想法グループにももう何年もほとんど休みなく通い続けてくださったHさん(90代、女性)が、脳腫瘍ができて入院して数か月後、天に召されました。

Hさんは毎週、隣に住む少し歳の離れた妹さんに送り出され、電車を乗り継いでお一人で通って来られていました。
いつも「こうして杖がなくても、自分の足で通って来られることが本当に幸せ」と笑顔で仰っていました。
帰り道、見送っていると信号の点滅で駆け出して行くような、ちょっとせっかちなところがあってハラハラすることもありましたが(笑)。
白髪のショートカットで、白や薄紫の無地のお召し物が多かったのですが、それがとてもよく似合って、気品のある女性でした。
朗らかで、物静かな印象でありながらも本当によく笑う方で、私のくだらない冗談にもいつも大うけしてくださって、何というか、周囲の雰囲気を明るくしてくれる、きらきらとした空気を纏った方でした。
とても慕っていた一番上のお姉さまが入居されている施設に面会に行った後などは、会話ができたことを喜びつつ、「何だか、いじらしくて…」と言って涙され、その姿に打たれたこともありました。
軽度の認知症でしたが、進行は本当に緩やかで、軽度の状態をもう何年も保たれていました。

亡くなった知らせは妹さんからいただきました。
入院中、脳腫瘍があっても本人はずっと「全然痛くない」と言っていたそうです。担当した看護師は「痛いはず」と言って首を傾げたそう。妹さんも不思議がっていましたが、入院中の様子を伺って、私は何だかちょっと合点がいきました。
Hさんは、入院中何かしてもらったときはもちろん、会話の度に、「ありがとうね」「感謝だわ~」と言っていたのだそうです。そして、長い間入院していることを忘れて、ついさっきまで回想法グループに通い、今帰って来たばかりのような口調で話し、「楽しかった」を繰り返していたとのこと。それを聞いて私は、認知症の優しい側面を垣間見た気がしました。認知症が優しくそっとHさんに寄り添っていたイメージです。
そしてHさんの感謝の心。周囲への感謝の思いが、腫瘍にも働きかけたのだと私は思いました。痛みを感じなかっただけでなく、実際に腫瘍も小さくなっていたそうです!

最期まで、痛みに顔を歪ませるようなことなく、穏やかな表情のまま亡くなったと伺って、本当に安心したと同時に、Hさんらしいなと心から思いました。
Hさんのことをあれこれ懐かしく回想しながら、しばらく泣いて、でもこれは、幸せな涙だと思いました。もう会えないことはとても寂しいけれど、これは感動の涙だと。これはHさんからいただいた贈り物の1つでもあると。

Hさん、本当にありがとうございました。さよなら、またいつか!

通りすがりの忘れな草。いつもこの季節、ふと足が止まります。

今日の文章 2025.1

『年を取るとプライドが高いと生きにくい』

歯科医師だった80代の男性Tさん。
神経心理検査の書字課題より。

寡黙な方でしたが、書いた文章を受け取って確認し、次の課題へ移る束の間、何か、目に見えない静かな交流があったように感じます。

その文章について、もう少し何か話していただいたほうがよかったのだろうか。
分かりません。
でもそんなふうに書けるのは強さだと感じました。
Aさんはその後MCI(軽度認知障害)と診断されました。

2024年最後の夕日。と思うと名残惜しく、しばらく見ていました。

突然歩けなくなった理由

「3か月くらい前に、急に歩けなくなって」
もの忘れ外来での神経心理検査前のフリートーク時、80代の女性Yさんはおもむろにそう述べ、次のように語りました。

「同居している長男夫婦がいつも旅行に連れて行ってくれる。なのでたまには夫婦2人で行ってらっしゃいと、毎年1回は2人だけで行ってもらっている。
ところが今年は、その旅行の当日に突然、歩けなくなった。
なので夫婦旅行はキャンセルになってね。
・・・そんなことがありました」。

<そうでしたか・・・>私が言うと、少し間を置いて、
「今思うと、今年は1人になるのが不安だったのかもしれないわね」とYさん。

そんなふうに振り返られるのはすごいなと思いました。
心と身体って本当に不思議で、こういうことはよくあるのですが、ほとんど無意識です。偶然、たまたま、で終わらせます。
人は自分の弱さをあまり認めたくありませんから。

静かに語るYさんの優しいまなざしを見つめながら、長男さんご夫婦も、きっと優しい強さを持った方々なのではないだろうかと想像しました。

こういう景色、たまに見ないとだめだ(笑)