ひとりカラオケ

認知症の妻を自宅で介護しているAさんは80代後半の男性で、税理士として今もお仕事をされています。妻がデイサービスに行っている間に近くの事務所へ赴き、仕事をするのが1つの気分転換になっているそうです。

認知症の家族とずっと一緒はお互いがストレスになる。こんなふうに別々の時間を過ごすのは大切なこと。

「仕事が好き」と話すAさん。やはり好きなことをして過ごす時間が何よりの気分転換になるでしょうから、いいストレス解消法をお持ちだなと思ったのですが、実はこれだけにとどまりませんでした。出てくる、出てくる・・・。

学生の頃からの麻雀好きで、当時は仲間と夜な夜な明け方までじゃらじゃらやっていたそうですが、「あれのよくないところはね、4人集まらないとできないってことだよ」。
今はなかなか相手が集まらないため、もっぱらケータイゲームだそうです。電車の中などで、読む本がなくなるとスマホで麻雀。相手に不足なしとのこと。

また若い頃から歌も好きでよくカラオケに行っていたというAさん。「ハチトラって知ってる?」ハチ? トラ? ・・・
昭和40年代のカラオケは「8トラ」と呼ばれていたそうで、8トラック・カートリッジテープの略とのこと。4曲入りのテープを機械にガチャッと入れて使用していたようです。
カセットテープよりさらに古い時代ですね。

Aさん、今もカラオケには時々行くそうですが、なんと、カラオケボックスで一人カラオケも!
「おばあさん(妻のこと)に内緒で、仕事の帰りにちょこっと寄る。おばあさんに言うと『そんなところで遊んで!』って怒られるからね(笑)」

そしてカラオケの得点システムを楽しまれています。
「この前は96点だったよ。全国で12位だって」。すごい!
「いやいや、100点なんて人も何人かいるからね。でも誰もあまり歌ってない歌だと、すぐに1位になれるよ」。
何を歌ったんですか?「ミス・コロムビアの『悲しき子守唄』とかね」。
ミス・コロムビアとは主に戦前期に活躍した女性歌手、松原操の別名のようです。

他にも「おばあさんと1日過ごす日曜日の楽しみは畑」とのこと。
日曜日以外は妻はデイサービスや訪問看護といった何かしらのサービスを利用しているため、まるまる1日2人で一緒に過ごすのは日曜日だけだそうです。
家のすぐそばにある畑なので「何かあっておばあさんに呼ばれてもすぐに行ける」。これが大事とのこと。

野菜作りでいい汗をかいているそうですが、先日「収穫した落花生を干している間に全部カラスに持って行かれた!」と。
とても悔しそうでしたが、そんな話もどこか楽し気で。

介護の大変さだけでなく、Aさんの好きなことをたくさん聞けました。
帰って早速『悲しき子守唄』を聴いてみると、この歌をしっとりと歌いあげているAさんの姿が思い浮かびました。

通りすがりのサルスベリも残暑に少々お疲れのようで…

べにさしゆび

もの忘れ外来での神経心理検査の中に、手の指の名前を言っていただくという呼称課題があります。
先日、80代半ばの女性がこの課題で、「親指、人差し指、中指…」と順調に回答できていましたが、薬指のところではたと止まってしまいました。
1つ飛ばして、「これは小指」と答えた後で再び薬指に戻って、「ええと…」と考えています。
なかなか出てこないようだったので、切り上げようかと思った矢先、
「紅差し指(べにさしゆび)」
おもむろにそう答えられたのです。
「そうそう、紅差し指」
その女性は言葉が出てきてほっとされているようでした。

私はというと、その言葉の美しさにはっとすると同時に、昔の女性が薬指でそっと紅を差している姿が目の前に浮かび、うっとりしてしまいました。

忘れ去られそうなこうした日本語を、しっかりと受け継いでいきたいですね。

紅花は故郷山形の花6月に花屋で見かけ部屋に飾りました。

ゆりかごの赤ちゃん

2年ほど前、病院のもの忘れ外来で神経心理検査を取らせていただいたとき、ある女性のしてくださった話がずっと心に残っています。
当時90歳で、エレベーターのない団地の4階でお一人暮らしをされており、白髪のショートカットで銀縁メガネをかけた、上品な印象の方でした。度の強いメガネのせいか、目が少し大きく見えました。
明らかな近時記憶障害と、軽い見当識障害がありましたが、それ以外はしっかりとされていました。

「何か心配なこと、気になることはありませんか?」の質問にはこう答えられました。
「特にないですね。長男と次男の嫁たちが毎日電話かメールをくれる。心配なんでしょうねえ、やっぱり。忙しいから、メールが多いかな。『今、朝ごはんを食べました』とか、一言ですよ、メールっていっても。でもそれでも安心するらしくて」。

そしてどうしてその話になったのか覚えていませんが、こんな話を始めたのです。

「近所のご夫婦が、40代で初めて子どもができて。ご主人が46歳で、奥さんが41歳だったかな。16年目でやっと授かって。そのお子さんを、うちで預かることになったの。『もしも何かあったとしても、決して責任を問うたりしませんから、みてもらえませんか』ってお願いされて。」

唐突に始まった話に初め私は、今のできごとかと思いましたが、思い出話のようです。

「そのとき主人は定年退職したばかりで、何もしないで家にいたから、『お前は一切何もしなくていいからそこにいろ』って私に言って、家の中のことを全部やってくれて。私は、流しにお皿がたまっていても、何があっても、赤ちゃんのそばを離れないで、ずっと見ていたの。毎朝、その子のお父さんが着替えとミルクをゆりかごの中に一緒に入れて預けに来るから、そのゆりかごを、上に(落ちてくるような物は)何もない部屋の隅において、私は一日中ずっと見ていたの。1年以上かな。当時は生まれたばかりの赤ちゃんを預けられるようなところはまだなくて、そのうち、新しい保育所ができたから、それまではうちでずっと。
その子がね、もう30いくつで、家から歩いて10分くらいのところに住んでいるんだけど、私を本当のおばあちゃんのように思っているって言ってくれて…」。

幸せそうに、愛おしそうに、その女性は微笑みました。

いい話だなあと思ってずっと聞いていました。

今年初、セミの抜け殻発見。壁のデコボコにつかまって羽化したようです。

鳥の世界

何回目かの神経心理検査を受けに来られたYさんは95歳の女性ですが、自ら「97歳」と述べられました。昨年94歳のときは「95歳」と答えられていたようなので、Yさんのなかではいつしか少しずつ時間が早く過ぎているようです。

少し会話しただけでイントネーションで感づいて(東北の人だな)、出身を尋ねると案の定。しかも同郷(山形県)でした。

「田舎弁丸出しだからね」。「田舎弁」という言葉すら懐かしい。

検査の書字課題では「毎日が忙しい」と記されました。
「インコを飼っているから、その世話で忙しいの。餌をあげたり、お水を交換したり。お花も好きだからいろいろ世話している」とのこと。

娘さんが3人、息子さんが1人いらっしゃいます。Yさんはかつて今でいう家庭科の教員をしていたそうですが、お子さんのうちのお2人も学校の先生をしていたとのこと。もう定年退職されているそうですが。

お話は流暢でしっかりとされていて、表情も若々しく、とても95歳には見えません。思わずそう述べると、「97歳よ」と訂正されました。

「でも頭はずっと前から老化。ぼうっとしちゃって、鳥の世界になっているから」と笑う。

「仏様に毎日お水をあげて、ごはんをあげて。そのために生きているのかなと思う。『いつ死ぬんだろうね』って娘たちといつも話してます」とさらりと話される。

検査後に、お互い雪国育ちの苦労話などを笑いながらひとしきりしゃべって、待合の娘さんのもとへご案内すると、「そちらから笑い声が聞こえてきて。こんなに明るい声は久しぶりに聞きました」と娘さんも朗らかに話されました。
私も本当に楽しいのです。95歳の方とおしゃべりできるのはとても光栄で幸せなこと。

それにしても「鳥の世界」ってどんななんだろう? しばらく想像を巡らせました。

桜並木は今は涼やかな緑のトンネルです。

孫とごはん

母親のここ最近のもの忘れを心配した次男さんからの依頼で、検査を受けに来たTさん(80歳)。お一人暮らしで、次男さん家族がすぐ近くに住んでいます。
もの忘れについてお尋ねすると、しばし考え「…そんなにない。…たまにあるのかな。…ないわね」と、以前ご紹介したHさんのように「ある」と「ない」と行ったり来たり。
毎日の過ごし方については「週に1回、腰痛体操に行ったり」「昼間は『大人の塗り絵』をしたり」とのこと。この塗り絵も息子さんが買って来てくれたのだそうです。認知症の予防にと思ったのかもしれません。少し遠くに住んでいる長男さんも時々様子を見に来てくれるようで、優しい息子さんたちであることがTさんのお話しぶりから伝わってきました。

さて、「塗り絵に飽きると横になる」と話されたので、他にあまりやることがないのかしらと少し心配になったのも束の間、「あとね、毎晩のように孫が夕飯を食べに来るの」とのこと。夕方からは張り切って食事作りに勤しむようです。
お孫さんは次男さんの長男で、今は20代前半の社会人。まだ赤ちゃんだった頃から幼稚園に入るまで、Tさんが毎日面倒を見ていたそうです。そんなお孫さんが「おばあちゃーん、ごはん食べに来たよー」と(言うかどうかは分かりませんが)仕事帰りにやって来て、おばあちゃんと一緒に食事している様子を想像すると、何だかちょっと涙が出そうになります。
「今日は友だちと食べるから、っていうときは(孫から)連絡が来るの。そういうときもあるからね。週に1~2回はそうやって外で食べてるみたいだけど、あとは毎日来るよ」。
もの忘れの検査の前後に、Tさんはとても嬉しそうに、そんな話を5回くらいされました。

お一人暮らしでも、こんなふうに家族の見守りがあると、認知症があっても軽度くらいであれば十分に生活ができます。
むしろこれくらいの距離感があったほうがいい場合もあります。
そしてお孫さんも協力的だとなおいいし、こんなふうにおばあちゃん子で優しいお孫さんのお話をお聞きすると、とても温かな気持ちになると同時に安心します。

ヒナギクを見ると子どもの頃に住んでいた家の庭を思い出します。大好きな花。デイジーという別名も可愛い。

溢れる回想

新年度になり、週に1回行っている回想法グループにも新しいお仲間が増えました。
回想法とは主に高齢者を対象とした心理療法で、これまで体験してきたことや様々な思い出などをお話していただく場です。グループ回想法では、自己紹介から始まり、次にテーマを1つ決めて語り合うのですが、初参加されたSさん(87歳、女性)はもう自己紹介のときから次々と回想が溢れ出るといった様子で、途切れることなくたくさんお話されました。

Sさんは福島県生まれ。生家は大きな農家だったようで、食事はまずおじいさんとおばあさん、次に両親、そして子どもたちと女中というように、食べる物の内容も、食べる部屋も違っていたというところや、女中さんたちを家から嫁がせたという話からも豪農の系譜だったことが窺われます。
農耕用に牛や馬を飼っていて、特に「馬の匂いが好きだった」とのこと。匂いを嗅ぎながら撫で過ぎて、蹴られたこともあるそう。他にヤギや羊もいて、羊の毛はセーターや布団の中わたになったそうです。・・・

自己紹介では出身地をお聞きしただけですが、それだけでもう、話はどんどん膨らみます。

その日のテーマは「春の山」。
テーマの発表後もSさんは生まれ故郷の豊かな自然にまつわる話をとても生き生きと語られました。口調は静かに淡々と、といった感じなのですが、表現力も豊かで、聴く者を飽きさせません。
タラの芽、ワラビ、フキノトウ、ナズナ、セリ…。こういったワードから他のメンバーもたくさんの思い出がよみがえっていたようです。

さて、Sさんのお話で場が最も盛り上がったのは、ヘビの話題。
春になって暖かくなってくると、冬眠していたヘビも姿を現しますね。
Sさんのところでは、毒を持つ危険なヘビ、マムシもよく出てきたそうで。
Sさん曰く「マムシとタヌキがケンカしているの見たことあるよ」。
ハブとマングースならぬ、マムシとタヌキの対決!は、マムシが逃げて、タヌキが勝ったとのこと。
またあるときは、Sさんの家の井戸にマムシが落ちて出られなくなってしまい、「中で泳いでるのを、つるべで取って」<助けた?>「助けないよ」。焼いて食べたそうです。・・・何というか、逞しい。
夏には吊った蚊帳の上に天井から大きなアオダイショウが落ちて来たこともあるようで。蚊帳がなかったらと思うとゾッとします。・・・

自然豊かな福島の山間部で育ったSさんは、高校を卒業後、編み物を学ぶために上京します。<故郷を離れて、寂しかったのでは?>「ぜーんぜん」。東京はどんなところかと、わくわくしたとのこと。「ただ訛りが抜けなくて、よく真似されて恥ずかしかった」。でも暗く陰湿な感じでは全然なかったようで。学校の寮でのお友だちとの生活は新鮮でとても楽しかったそうです。
そんなSさん、「寮の食事で一番美味しかったのが、モヤシ」と言います。「福島にはなかったからね。シャキシャキしてすごく美味しいと思った」。安価なモヤシはその後も年中出てきて、Sさんを喜ばせたようです。

「楽しかったから、次からも来るよ」と言って帰られたSさん。
流れる川のように滔々と溢れ出るSさんの回想を、次回からも傾聴させていただきますね。私もとても楽しみです。

先週、帰省しました。山形も例年より早い開花で、ちょうど満開の桜を見ることができました。

山形名物、冷たい肉そば。帰省中、一度は食べたい。

最終日の早朝、部屋の窓から。前夜遅くから雪になったようで、積もっていてびっくり。
お昼前にはすっかり融けましたが、この度の帰省では桜も雪も楽しめました。

うわの空

83歳のAさん(男性)は、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMMSEという30点満点の認知症簡易検査でそれぞれ3点、8点でした。これは重度認知症と評価される点数です。
実際にAさんの認知症はかなり進んでいて、語彙も大分少なくなっているようでした。
言葉の意味理解も低下していますが、簡単なやりとりは可能で、ご自身のお誕生日も正しく答えることができました。
ところが年齢を尋ねると、「46」ときっぱり。
「46歳?」「(頷いて)うん」。
(ああ、今その時代にいらっしゃるのですね。あるいはその数字が好きなのかな?)

やりとりしていると、Aさんから時々「うわの空」という言葉が出てきます。
会話のときだけでなく、復唱課題というのがあるのですが、そのときもちょっと長い文章になると、途中で「うわの空」が出てくる。
課題の質問の意味が分からないようなときも、「…うわの空」。Aさんの口ぐせのようです。
その言葉が好きなのかしら? 言った時の感じが心地よい?
Aさんは「うわの」というところにちょっと力を込めて「空」までを心なしゆっくり気持ちよさそうに発音するので、聞いていても何だか心地よい。

「うわの空」。知っている言葉ではありますが、何となく改めて調べてみました。
 出典:デジタル大辞泉(小学館)

1. 他のことの心が奪われて、そのことに注意が向かないこと。また、そのさま。心が浮ついて落ち着かないさま。
2. 天空。空中。そら。
3. あてにならないこと。根拠がなく不確かなこと。また、そのさま。

ちょっと、言い得て妙という感じもしないでもなく。

ところで検査には構成力などをみる模写課題というのがあるのですが、Aさんは重なった五角形や、立方体を、正しく描くことができていました。
また抽象的思考力をみる課題では、例えばリンゴとバナナであれば「果物」のように、似ているところ、共通しているところを答えていただいくのですが、時計と定規の共通点を「はかりもの」とほぼ正しく答えることができました。
30分以上かかる検査に最後まで穏やかに、「うわの空」でなく落ち着いて取り組んでくださいました。

不確かな世界で生きていらっしゃるAさんの、今できていることに少なからず感動します。

石畳の間からも小さな新緑。

どちらもほんとの気持ち

もの忘れの自覚があるかどうかを知りたいとき、だいたいは誕生日や年齢を尋ねた後に「皆さん、お年を召すと、もの忘れを気にされる方が多いのですが、〇〇さんはいかがですか?」というふうにお聞きします。
こんなふうに尋ねなくても、早々に自ら「この頃ものすごく忘れっぽくて困っています」と訴える方も多いですが。

つい先日、88歳のHさん(女性)に「もの忘れは気になりますか?」と尋ねると、
「もの忘れは心配しているけれど、自分ではないつもり。一瞬、忘れることは多くなったけど、落ち着いて考えると大丈夫。大事なことは思い出します。でも忘れることは多くなりましたよ。スポッと忘れることはないですけれどね。忘れることは確かに多くなりましたけど、まあ歳だからしょうがないなと思ってます。でも大事なことは覚えています。まあ忘れることもあるといえばあるけれど…」と答えがぐるぐる。

もの忘れが気になるのです。
もの忘れがあると思う、ないと思う、どちらもほんとの気持ちでしょう。

もの忘れの自覚があるかないかは1つの指標となりますが、認知症の少し手前の状態や、認知症の初期では、自覚があることがほとんどです。
昔は、認知症の人は自分では分かっていないから楽でいいわよね、なんて言い方もされていましたが、最初にもの忘れに気付くのは自分自身です。そして人知れず悩んでいる期間が長く続くことが多いです。
人の名前が出てこないとか、ついうっかり約束を忘れていた…なんてことは誰にでもあると思うのですが、ここで言っているもの忘れはもう少し深刻で、「さっきもこの話、したでしょ?」と言われても全然思い出せないとか、「昨日〇〇に行ったよね」と言われても全く覚えていないとか、ざわっとするような記憶の欠落。「ああ、そうだったわね」と取り繕いながらも、内心はそうだったかしら…と不安になる。

Hさんはごく軽度の認知症の方です。
Hさんのように、なんかおかしい…、いやでも大丈夫、という2つの気持ちを行ったり来たりする方は多く、尋ねる度に「(もの忘れが)気になる」「気にならない」と答えが変化することも少なくありません。
なので「もの忘れはありません」と言ったからといって全く自覚がないのかといったらそうでないこともあるので、「自覚のない人」とすぐにくくることはできないのです。

Hさんはもの忘れ以外にも気になることがあるようで、おずおずと最後に「あの。聞いていいですか?」と質問されました。
「私お酒、強いんだけど、これっていいの?」
お一人暮らしをされているHさんは、土日に赤ワインをグラス2杯飲むのが日々の楽しみだそう。「土日以外にも飲みたくなってしまって」。
飲みすぎなければいいと思いますよとお答えすると、かかりつけのお医者さんからもそう言われたとのこと。であればぜひ楽しんでください、そう言うと嬉しそうでした。
10歳くらいは年齢より若く見えるので、そうお伝えしたときも嬉しそうでしたが、ワインの話をするときはもっといい表情になって可愛らしい方でした。
日々の楽しみがあるという話をお聞きすると何というか、とてもほっとします。

満開をちょっと過ぎて、花びらのじゅうたん。

小さな公園も桜のじゅうたん。仕事帰りの道すがら。

日日是好日

仕事柄、毎日のようにご高齢の方々とお話をさせていただいています。
もうかれこれ10年以上、そのような仕事をしていますが、それは想像以上に楽しい日々です。いろいろな方がいらっしゃるので、楽しいというと語弊があるかもしれませんが、高齢の方々とやり取りする日々は間違いなく私の人生に深みや豊かさを与えてくれています。

ふとした言葉、ふとした表情、ふとしたしぐさ。
日々の忙しさのなかで忘れ去られてしまうのはもったいないので、ここにこうして記すことにしました。

無理なく少しずつ綴っていこうと思います。

歩きながらお花見。木によって咲き方が違うけれど、満開まであと少し。