一文の機微

前回、もの忘れの程度など様々な認知機能を調べる神経心理検査の課題の1つに文章を書いてもらう書字課題というのがあるとご紹介しましたが、たった一文、書いていただくだけで、その中にも非常にいろいろな個性が見え隠れします。

「今日は病院に来ました」
「今日はいい天気です」
などと当たり障りのないものも多いのですが、はっとさせられるような文章に出会うこともあります。
「この頃、私は何かおかしい」
「私はだんだんだめになりそうです」
などと、もの忘れに伴う不安な胸の内を文章にされる方も少なくありません。
「家族に迷惑をかけています」
などと周囲への申し訳なさをしたためる方もいらっしゃいます。
そんなときはとても切ない気持ちになります。

その一方、思わず顔がほころんでしまうような、ユーモアやセンス溢れる文章と出会うときもあります。

先日検査にいらっしゃったNさんは、3年ほど前に中等度アルツハイマー型認知症と診断された84歳の女性で、今回の長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMMSEという30点満点の簡易検査でそれぞれ9点、13点でした。
中等度くらいの認知症になると、検査においてできない課題が多くなるため、嫌になってしまう方も多いのですが、Nさんは最後まで心から楽しそうに、やる課題、やる課題、興味津々といった感じで目をきらきらさせて取り組んでくださいました。

そして件の書字課題ですが、Nさんは少し考えてゆっくりと、用紙に縦に「今日のお知らせ」と書きました。
これだけでは文章ではないので得点になりません。
Nさんはまた少し考えて「娘の」を加えて「今日の娘のお知らせ」に修正。
それでも主語・述語がないと文章にならないため、残念…と思っていると、Nさんは改行して「今日のお昼ごはんは」、そしてまた改行して「ゴーセーですよ!」と書き加えました。
「今日の娘のお知らせ
今日のお昼ごはんは ゴーセーですよ!」
これならOK! どころか、なんてセンス! と私は感動しきり。
びっくりマークもとても可愛らしく書けています。
文章が書ければ1点、書けなければ0点ですが、10点くらいあげたいところでした(もちろんしていませんが)。

Nさんは同居する娘さんの書くメモを頼りに生活されています。そんな娘さんからの「お知らせ」はお昼ごはんに関することでした。
「いつもは残り物とかで簡単に済ますんですけどね。こういう(豪勢な)ときもあるんです」と笑ってNさん。

Nさんは3分前のことも忘れてしまいますが、こういう文章が書けます。
そこも記憶ですが、こういう記憶は頭の中のどこにどうやって存在しているのか不思議です。

Nさんはそんな文章を書いたことも忘れて、私の手引き歩行で娘さんの待つ待合室までゆっくりと戻られました。
そのNさんが3年前に書いた文章は
「このたび面白い経験をさせて頂きました。ありがとうございます」。
そして今回も何度も「ありがとうございます」と述べられていました。
こちらのほうこそ「ありがとうございます」。

可愛らしい花が咲きました!

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